中島みゆき、思い出の曲
- 中島みゆき(本名:中島美雪)はシンガーソングライター。 1952年2月23日、札幌市生まれ。藤女子大学文学部国文学科卒。 1975年5月「第9回YAMAHAポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に「傷ついた翼」で入賞。同年9月、シングル「アザミ嬢のララバイ」.. 続きを読む
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もう一つ、中島みゆきさんの曲の思い出がある。
「悪女」 この曲こそ中島みゆきさんを知るきっかけとなった曲です。
歌番組、ザ・ベストテンで11位以下の「もうすぐトップテン」で紹介されて
その後どんどん順位を上げてきたんですよね。
でもどういうわけが、本人は全然テレビに出演されず・・・。
「なんで出ないんだろー」子供の頃の自分には、このことが大きな印象でした。
これをもって名が売れた部分もあるんじゃないかなと思いますが・・。
あの頃の自分は、幸せいっぱいな気がします。
思い出の曲というのは背景があるんですよね。その頃自分は何をしていたか、という。
すこし挙げてみますと・・
「悪女」 オコタの中でベストテン見てた。釣りが好きだった。
「あした」 ボーリング場&カラオケボックスにはまってたバブル期
「地上の星」 サラリーマンまっただ中、紅白で中島みゆきさんを初めて見た。
「わかれうた」 大学時代の通学、バスで揺られた風景が浮かぶ。
「浅い眠り」 パチンコ屋さんでビッグシューターにハマっていた。
こんな感じで、当時の風景を思い浮かべることが出来ます。みなさんもそうじゃないでしょうか。その時代に、背景に流れていた曲ということです。つまり街を歩いていて、よく流れてきた曲、よくラジオで聴いた曲ということです。好き嫌いとは別です。
一つ思うのが失恋ソングってやつです。
私の失恋ソングというのは、柏原芳恵の「アリエスの乙女たち」です。
何でって言われても、、その時その背景にその曲があったわけですよ。
よく失恋ソングというと、例えば、ユーミンの「あの日にかえりたい」とか挙げますが、
自分が失恋したその瞬間、放心状態で街中を歩いていて偶然ユーミンの曲を耳にする・・・なんてことはありえません。
ぜいぜい家に帰って、ユーミンの曲でも聞こうかな~が良い所でしょう。
もちろん、これはこれで思い出ですけどね。
いま改めて僕が知る中島みゆきさんの曲を聞くと、なぜか幸せな時代だった気がします。
なぜだろ・・・。
答えはこうです、キツイときはテレビや音楽を聞く余裕がない。音楽が耳に入ってくるのは心に余裕があるときかもしれません。
無論、上記の話のように、街を歩いていて耳に入ってくる曲というのもあります。
私が4年間の無職時代を過ごしたとき、背景で聞いた音楽は、中島美嘉さんの「一色」だったですね。
さて、今度の無職時代にはどんな曲が背景に残るかな。。。